くりっく365成行注文
日本経済の回復力は低下しているように見える。2003年末から2004年初の力強い回復は頓挫(とんざ)し、昨年央以降は弱い指標が目立っている。さらに、昨年末からのGDP統計の連鎖方式への改訂という技術的な要因もあって、日本経済の回復力はなおさら弱いように見える。 これまでのGDP統計の作成方法では、デフレータの変化を過大に評価する傾向があった(デフレの時代では、物価の下落がより大きいように評価する)。この結果、実質GDPの成長率は過大に推計されることになる。この歪みは、物価指数を計算するときのウエイトを固定していることから生まれているので、GDP統計が、毎年ウエイトを変える連鎖方式によって推計されることになった。 このこと自体、より正しい推計に近づくことではあるが、実質GDP統計の数値が低下することになったのは事実である。実体になんの変化もなく、名目GDPにも変化はないのだから、気にすることはないとも言えるのだが、なんとなくがっかりすることは確かである。 日本の労働生産性、バブル後停滞期も維持 新春なので、元気になる話をしよう。1990年代から現在まで、不動産投資 の労働生産性の上昇率は、実はほとんど低下していなかった。実質GDPの成長率が低下しているのに何故と思う方も多いだろうが、正しい労働生産性は、労働者1人当たりではなく、労働者が実際に働いた時間当たりの実質GDPで計らなければならない。 表は、1980年以降、現在までの通常の実質GDPと労働生産性(労働時間当たり実質GDP)の年平均成長率を5年ごとに示したものである。表に見るように、通常の実質GDP成長率は、バブル崩壊後、1%前後へと低下し、バブル期を除いた80年代前半の成長率3.1%に比べても1.6%-2.3%ポイントも低下している。ところが、労働時間当たり実質GDPの成長率は、バブル崩壊後も1.9%〜2.0%となっており、80年代前半の成長率2.5%から0.5-0.6%ポイントしか低下していない。日本の労働生産性は、バブル崩壊後の大停滞期においても、2%と高い伸びを示してきたのである。これは、日本経済の基本的な力が、大停滞期においても維持されてきたことを示している
労働生産性の上昇率がなぜ基本的な力を表すかといえば、労働力はCFD だが、労働生産性の上昇率が生み出すものは無限だからだ。現在の失業者約300万人のうち、半分の150万人が仕事に就けても、約6300万人の就業者数は2.4%しか上昇しない。もちろん、生産が2.4%しか増大しないという訳ではなくて、現実には、不況で職探しを止めた人、不況ゆえに社内で低稼働になっている人がいるので、10%以上は、生産が拡大するだろう。しかし、それにしても、働いていない人が働くことによって増える生産物は10%あまりにすぎない。 「100年単位」で見ればどちらが重要か それに対して、2%の労働生産性上昇率とは、いくらでも生産物を増やしていくことのできる数字である。2%の労働生産性上昇が5年続けば、実質GDPは10%大きくなる。これは長期的に失業率が高止まったことによる実質GDPの損失のレベルである。 しかし、2%の生産性上昇率が50年続けば、実質GDPは2.7倍になる。失業率の高さは10年単位の経済停滞を説明する上では重要だが、100年単位の経済成果を問題にするときには労働生産性の上昇の方が重要だ。 もちろん、ここ10年の問題が重要でないわけではない。なぜ90年代以降の日本経済が低迷してきたかと言えば、需要が減退し、労働投入が減少してきたからである。90年代から現在までに、労働投入の減少によって10%余りの生産が縮小したと思われる(労働投入がなぜ減少したかについては、紙幅の関係から本稿では論じない。ご関心のある方は、浜田宏一・原田泰・内閣府経済社会総合研究所編『長期不況の理論と実証』第8章、東洋経済新報社2004年を参照されたい)。しかし、幸いなことに、最近、失業率が低下し、雇用の伸びの回復が見られる。これは日本経済にとっての素晴らしいニュースである。
最初にお詫びから。本コラムの第7回「最後の外貨預金 」の中で「最後の日本人は1万207年後に生まれることになる」と書きましたが、正しくは約1000年後でした。最新データ(2003年に生まれた子供の数は113万人)で計算しなおすと、953年後になります。「日本の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に生む平均の子供の数)は現在1.29である。女性は人口の半分だから、1年間に生まれる子供の数は、1世代ごとに0.645倍(1.29÷2)になっていく。1世代を30年間とすれば、2032年に生まれる子供の数は115万×0.645で74万人、2062年には、74万人×0.645で48万人となる。このトレンドが続くとすると・・・」とのロジックは問題ないのですが、どこで間違えたか分かりませんが、桁を間違えていました。ご迷惑かけました。 「人口減少」問題の性質を見極めよう 今回のテーマに話を戻そう。とにもかくにも、日本の人口が減少していくのは確実だ。上に記したように、計算の上では最後の日本人は約1000年後に生まれることになる。子供が生まれた時点では、その前に生まれた世代がたくさん残っているが、人口は最終的にはその年に生まれた子供の数×平均寿命ということになる。このような人口を均衡人口と呼ぶ。平均寿命が80歳であれば、日本の均衡人口は、生まれる子供の数×80となる。生まれる子供の数は、図のように急速に減少していく。2330年には、子供の数は1万人を割り、均衡人口も80万人以下となる。 わずか300年余り後には、1億2700万人いた日本人が80万人になってしまうというわけだ。では、これは今すぐ手を打たなければならない緊急の大問題なのだろうか。 世の中には「投資信託 必ず問題になるが、なぜか今は問題にならない」という問題がある。財政赤字はその代表だ。多くの人が、財政赤字が拡大していけば「インフレになるか」「国債金利が暴騰するか」「国債が無価値になる(国は借金を払わない)」のいずれかが起きると言う。いつか起きるのなら、現在でも少しは起きてもいいと思うのだが、どうやらそうした兆候はなさそうだ。奇妙な言い方だが、財政赤字は現時点で少しでも問題になっていれば、実は少しも問題ではない。赤字で困ったことが起きれば、少しずつでも赤字を減らそうという努力がなされ、結果的にたいしたことは起きないということになるからだ。 しかし、今何も起きないとすれば、最後の「審判の日」にはとんでもないことが起きるのかもしれない、という懸念がある。人口減少は、そのような問題なのだろうか。いや、そもそも現在の人口減少のトレンドが何百年も続くと想定していることがおかしいのではないか。 「地価が下がると子供が生まれる」のメカニズム 現在の日本の年金給付額は世界一高くて、児童手当は先進国の中で一番低い。つまりリタイアした高齢者の老後には手厚く、将来を担う育児には手薄な構造だ。人口が減少し続ければ、このような制度は当然に変化するだろう。しかし、制度が変わらなくても、出生率が回復するメカニズムはありうる。第7回でも書いたように、子供を育てるコストが高いから子供が生まれない、という問題が少子化の根底にある。それなら、子供が生まれるようにするためには、「子育てのコストを引き下げる」か「子育てのコストが気にならないほど豊かになる」のいずれかが解決への糸口となる。 子育てコストのひとつである住宅を考えてみよう。都心に子供は少なく、郊外には子供が多い。週末に郊外のファミリーレストランに行くと空席待ちの家族連れが並んでおり、「日本でも子供が生まれている」と安心することがある。子供がいる世帯は遊べるスペースの広い郊外の一戸建てを好み、大人だけの世帯は土地を少なくてもよい職場に近い都心部のマンションを選んだ結果だろう
均衡人口が80万人になるということは、日本全体の人口が東京の世田谷区と同じになるということだ。当然地価は暴落するだろう。そうすると、土地をより多く使う子育てのコストが下がり、子供は生まれてくるということになる。 また、地価が下がるということは、現在土地を持っていない人々にとっては将来の住宅ローンの払いが減ることだから、「豊かになる」ということでもある。筆者と高田聖治氏が共同で手がけた推計によれば、「地価が下がると子供は生まれる」という仮説はかなり蓋然性(がいぜんせい)が高そうだ(詳しくは高山憲之・原田泰編著『高齢化の中の金融と貯蓄』第1章、日本評論社1993年)。 「自由貿易」の維持の「豊かさ」 の関係 そもそも、豊かな日本がごく少数の人々のものになるということはおいしい話ではないか。国民ひとりひとりが豊かになり、子育てのコストが気にならなくなってくるはずだ。しかし問題もある。「日本の人口が世田谷区なみの人口になれば、今の日本の豊かさは維持できないのではないか」という疑問だ。 人口減少には、すでにある富を小数の人々で分配できるために豊かになれる面と、「規模の経済」が失われて貧しくなる面との両面がある。ここで注目すべきは、「規模の経済」のかなりの部分は自由な貿易から生み出されるということだ。大抵の商品には、効率的に作るための最小限の規模というものがある。したがって、小さな国が多くの商品を効率的に生産することはできない。しかし、小さな国でも、少ない種類の商品を大量に作って、別のものと交換すれば、多数のものを効率よく作っているのと同じになる。人口の少ないシンガポールや香港は、購買力平価で計ると日本に劣らず豊かである。この事実から、1000万人に満たない人口の国でも、自由な貿易さえ確保できていれば、規模の経済は保たれるということが推測できる。規模の経済がほとんど失われないなかで、人口減少は人々を豊かにする。いやむしろ、規模の経済が失われる前に、豊かになった日本人は子供を生み始めるのではないだろうか。
日本の経済成長率は、1980年代前半の3%台から90年代から現在までの1%台に低下してしまった。3%の成長率が1%に低下するということは、15年間後の所得は30%低下するということである。この停滞は、大停滞と呼ぶに値する。しかし、これほど大きな問題であるにもかかわらず、大停滞がなぜ起こったのかということについて、日本の経済学者の間でのコンセンサスは乏しい。 説得力に欠ける「構造問題」説 多くのエコノミストが、構造的要因によって90年代以降の停滞が生じたと考えているようである。構造問題とは本来あいまいな言葉だが、日本経済が、新しいIT化や金融技術の発達に遅れ、これまでの技術においてアジアにキャッチアップされたがゆえに生産性の停滞が生じたと考えているようだ。彼らは、生産性を低下させるような構造問題が1990年代に生じ、それゆえに90年代の成長率が低下したと主張していることになる。しかし、新しい技術は80年代にも継続的に生まれており、アジアの国々は80年代にも日本へのキャッチアップを目指していた。結局のところ、彼らは、どのような構造問題が、日本の技術成長を抑圧し、成長率を3%から1%に低下させたのかを説明できないでいる。 唯一の例外は、昨年のノーベル経済学授賞を授賞したエドワード・プレスコット教授である。彼は、90年代初に行われた、労働時間を週44時間制から40時間制にした労働時間短縮が、その構造問題だと指摘している(Prescott, Edward C. "Some Observations on the Great Depression," Federal Reserve Bank of Minneapolis Quarterly Review, Vol23, No. 1, winter, 1999)。彼の指摘は90年代の初期については正しいかも知れないが、90年代の半ば以降についてはそうではない。労働時間短縮は1990年代初期の実質GDPのレベルと成長率を低下させたかも知れないが、その後の成長率を永続的に低下させることはできないだろう。 「税制改革の成果」いまだ見えず 通常の実質GDPではなくて、総投入労働時間あたりの実質GDPを見れば、構造要因説を反証する明らかな証拠が得られる。図は、通常の実質GDPと労働時間あたりの実質GDP(ともに1990年=100と指数化してある)を示したものである。通常の実質GDPの成長率は1990年代に大きく低下しているが、労働時間あたり実質GDPの成長率はほとんど低下していない(このことは、内閣府経済社会総合研究所ESRI国際フォーラム(2003年2月17-19日)において、ブルッキングス研究所のバリー・ボツワース氏などによって指摘されている)。労働時間あたり実質GDP、すなわち、労働生産性が低下していないのに、日本の技術効率が構造問題によって低下したとは言えないだろ
私は、日本経済が効率を引き下げる構造問題を抱えていないと主張しているわけではない。日本経済は構造問題を抱えており、二重構造経済である。GDPの20%に満たない輸出製造業は高い生産性をもっているが、残りの80%の部門は低い生産性しか持っていない。私の論点は、日本は80年代にも90年代と同じ構造問題を持っており、そのような構造問題を抱えながら80年代には4%の成長をしたのだから、構造問題が90年代の成長率低下の要因ではありえないということである。 しかも、日本は、1990年代になって生産性が上昇するような大きな構造改革を行っている。電々公社と国鉄は、それぞれ1985年と87年に民営化された。この効果は、90年代に大きく現れるだろう。現に、私たちは、携帯電話の著しい発展という民営化の成果を目撃している。さらに、1989年に消費税が導入されたものの、所得税率と法人税率は1990年代の初期に大きく引き下げられた。最高所得税率は1987年の80%(地方税を含む)から1997年の50%にまで引き下げられた。これこそが構造改革である。構造改革の効果が大きいのであれば、その効果が90年代に現れても良いはずだが、そのような効果はいまだにあらわれていない。 実質賃金上昇が引き起こす悪循環 では、なぜ日本経済は大停滞に陥ってしまったのだろうか。図から理解されるように、労働生産性の低下ではなくて、労働投入が減少したことが停滞の理由である。では、なぜ労働投入が減少したのか。デフレで実質賃金が高止まってしまったことが労働投入減少の大きな理由である。90年代初のバブル崩壊後の、需要低迷経済の中で、物価の超安定により、実質賃金が上昇してしまった。物価が下落しても、名目賃金を下げることは、昨今のリストラブーム以前にはきわめて難しいことだった。不況の中では実質賃金上昇は、ボディーブローのように効いてくる。実質賃金が上昇すれば、利潤が圧縮される。利潤が圧縮されれば株価は下がり、投資が停滞する。投資が停滞すれば総需要が低迷する。この悪循環が労働投入を低下させ、日本経済の大停滞をもたらした。だからこそ、デフレからの脱却が重要である。デフレ脱却の重要性については残りのスペースではとても説明しきれない。関心をお持ちのかたは拙著『デフレはなぜ怖いのか』(文春新書)をお読みいただければ幸いである。
1990年代初めから、日本経済は長期停滞に陥っている。実質経済成長率とは、時間当たり労働生産性の伸び率と投入された労働時間の伸び率の和、すなわち 実質経済成長率=時間当たり労働生産性の伸び率+投入された労働時間の伸び率 である。前回も述べたように、この長期停滞は、労働生産性の伸びの低下ではなく、投入された労働時間の伸び率の低下によって引き起こされたと考えるべきだ。 では、なぜ労働時間の伸び率が低下してしまったのだろうか。これも前回述べたように、デフレで実質賃金が高止まってしまったことが労働投入減少の大きな理由である。どんなものでも価格が上がれば売れ行きが落ちる。労働の価格である賃金についても同様だ。価格が上がれば売れ行きが落ちることを90年代の日米経済を比較しながら、もう少し詳しく説明しよう。 物価が下落していても賃金下げは困難だった 下のグラフは、日本と米国の生産、実質賃金、物価、失業率(右目盛り)を示したものである。日本の実質賃金は、長期停滞のさなかにも上昇していた。なぜ不況にもかかわらず実質賃金が上昇してしまったかと言えば、物価が超安定ないしは下落していたからである。物価が下落していても、名目賃金をカットするのは難しい。現在であれば、賃金カット、雇用削減などのリストラは、"経営者の勲章"になるかもしれない。しかし、90年代初めまで日本的経営システムこそ日本繁栄の秘訣で、これがある限り日本の成長は永遠だと多くの経営者が信じていた。わずか数年で「これまでの考えは間違っていました」と手の平を返すようなことは、いくらなんでも出来なかったという訳だ。
それどころか、日本的な雇用慣行の中では、在社年数が長くなるにつれて賃金も増える「年功賃金カーブ」を維持するために、毎年賃金を上昇させなければならないという事情もあった。30歳から50歳にかけて、名目賃金が倍になる年功賃金カーブを維持しようとすれば、毎年3.5%賃金を上昇させなければならない(3.5%で20年間増加し続けると倍になる)。ここで気をつけなければならないのは、企業が毎年引き上げなければいけないのは名目賃金であるという点だ。もし、物価が毎年3.5%上昇していれば、企業の生産物の価格も平均で3.5%上昇する。そうすると、企業にとって負担しなければならない実質的な賃金の上昇率はゼロ%ですむ。すなわち、わずかな安定したインフレの中でこそ日本的雇用慣行は維持しやすいという訳だ。逆に言えば、デフレの中では、日本的雇用慣行を守るのが難しくなってしまう。
日本も米と同様の長期成長が可能 経済状況が悪化している時、実質賃金が上昇すれば何が起きるか。90年代までの日本的雇用システムの下では、すでに雇用している労働者を解雇することはほとんど不可能だった、企業は利潤を圧縮して雇用を維持するしかない。このため利潤が縮小し、株価が低落し、投資が困難になる。投資が低下すれば、総需要と生産が減退する。その結果、雇用が失われ、失業率が上昇し、雇用不安が生まれて消費が停滞する。消費が停滞すれば、総需要が減退する。これはさらなる投資の縮小となる。この悪循環が、日本経済を停滞させた理由である。 これに対して米国はどうだったか。90年代の米国経済の力強さは、下落気味ないしは安定した実質賃金に裏打ちされていた。その理由は、詳しくは別の機会に譲りたいが、(1)デフレに苦しむ日本と異なり、2-3%の安定的な低いインフレ率が続いていた(2)80年代の規制改革で労働組合の力が弱まったり、労働コストを価格に転嫁することが困難になったりしていた――などによる。 経済がうまくいっているときに、実質賃金が低下すれば何が起きるか。企業利潤は増加し、株価が上昇する。拡大する利潤によって投資が上昇し、総需要が増加する。生産と雇用が増大し、失業率が低下する。雇用が増大すれば、人々は安心して消費を拡大する。消費の拡大は総需要を増加させ、さらなる投資を呼ぶという好循環を引き起こす。この好循環によって、米経済は90年代を通じて長期繁栄を謳歌(おうか)した。 では、日本もアメリカのような長期繁栄を経験することができるだろうか。再びデフレに戻ることなく、実質賃金の安定が続けば、日本でも同じことが可能だろう。その意味でもデフレの根絶は是非とも必要なのだ。